このページは基本的に宗羅が当月お会いした心に残る方々との対談で 構成、もしくは既に故人となった忘れられない薫習※の方々をご紹介するものと致します。ただ初回のこのたびは周りのリクエストが圧倒的だった宗羅のルーツ、母故荒井登志子(師号 宗玄)についてお話させて頂きたいと存じます。
 

母荒井登志子は、旧姓中村登志子、ニックネームは「おじゃるまるくん」と父方の公家の血 がとても濃く感じられる、 「天然・・・」の人でした。好き嫌いは激しい人でしたが嫌みが無く、当人はいたって常識家と勘違いしたままあちらの世界へ逝ってしまったのです。きっと天国でも、かなり自由気ままにリウマチで中断したビーズなどの手工芸を周りの方々も仲間にして楽しんでいるのではと思います。母は遺言のように「パパの納骨は私と一緒にして頂戴。寝たきりになってから 何にもしてあげら れなかったし、お化粧もしないで印象良くない筈だから綺麗にしてパパと一緒に天国へ行って、思いっきりおしゃべりするの。」 弟と私は「ママは退院して出来なかった旅行やショッピングを始めるからしばらくそれは後になるけれど、仲のいいカップルだからそうしましょう。お願いだからパパにその計画は話さないで。喜んじゃって早く迎えに来ると嫌だからね」と頼んだものでした。それで本当は全身堪え難い痛みが走っているのに私たちにはなるべく笑顔を見せ、父よりちょうど一年と23日長生きして看病させてくれて、今年の1月31日に永眠致しました。お墓は両親が大好きだった富士山のみえる、まるで生まれ育った横浜の外人 墓地のような一角に構え、墓石にはこう刻んであります。「遊戯三昧 気高く お洒落に 美しく」この6月26日の生前の母の誕生日の日に身内だけで埋葬を済ませました。両親の喜びを考えると涙は叱られそうねと、弟と相談しまして新居祝いを好きだった シャンパンを備えてそれに合う誕生日ケーキにさすがに蝋燭は立てずにマジパンのプレートには「新居を楽しんでください」とかなり常識はずれの、でも私たちの心からのメッセージをのせて備えて、献杯しました。生前大好きだった色とりどりのバラの花に囲まれ、幸せなことにセレモニーの間はすっきりと梅雨空も明けて何もかもきっと生前の両親を愛してくださった方々のお気持ちの御蔭と再び手を合わせました。

母の生前の言動を綴りますときっとNHKの朝の連ドラにしても紹介しきれないほど、おかしいことが多く、周囲の方々に絶対本にしてほしいと言われるほどです。私の中で母との出会いはこれからどのような幸せが巡って来たとしても(凄いですよね。不幸は絶対巡らないと信じてるところ)これ以上の幸運は無く、決して風化することはありませんから必ずいつか残るものにしたいと 思います。最後に今年の2月4日の立春に告別式で紹介された母のプロフィールがあんな席にも拘らずすすり泣きならぬ、笑いがおきたこれも少々常識外のものでしたので、ご紹介します。因に原稿かいたのは私なのですが、笑いが取れるのでよく母の 話をする私に生前母は「貴方の御蔭で私は変人扱いよ」と当人相変わらず自覚がなかったのを思い出します。今度生まれる時も娘にしてください。逆は大変そうだから。

※徳の高い人と一緒にいると気持ちが洗われ、学ぶ所があるという仏教の言葉。
 
 
荒井登志子プロフィール
昭和8年: 6月26日、横浜まかどに中村徹、愛の次女として生まれる。
父徹は旧東京海上株式会社の役員。京の公家の血をひくが、豪放磊落な気性は登志子が全て引き継いだため、女子ながら幼少より、帝王学を指導。母愛は横浜出身。フェリス女学院卒業敬虔なキリスト教徒。英語、フランス語に堪能。
   
昭和14年: 間門小学校に入学。
   
昭和20年: フェリス女学院中等部入学。
入学試験の日に周りの受験生を励ましてまわり、評判に。
   
昭和27年: フェリス女学院高等部卒業。
主要都市の国立病院の院長を歴任し、西園寺公の主治医も務めた祖父の後を継いで医師になるはずが、盲腸の手術をみて気絶し、慶応大学医学部受験を断念。一転してファッションデザイナーの道を選ぶ。
   
ドレメ学院在学中に子供服の部門で装苑ファッションコンペでグランプリを獲得したり、以降大いにその才能を発揮。そのころ、自宅に弟に逢いに来た父静治と出会い、恋に落ちる。結核を煩う若い父のリハビリに積極的に協力し、父は退院。結婚。

デザインルームを持つが、以後飯田みゆき先生門下生としてアートフラワーとリボンフラワーを融合させた新しいデコレーションを考案して、全国に教室展開。大成功を納める。母の花のファンにはイギリスお王室も含んでいる。

長女美奈、長男雅人を出産してからも仕事は続けたが、美奈の受験を機会に引退。母親業に専念しても、決して教育ママにはならず、深夜の勉強を妨害する始末。家庭訪問に訪れる前の担任に「母に家で勉強させてと伝えてください」と御願いしたが「女の子は綺麗でいたほうが、人生トータルに考えて最終的に幸せになれるから、眼鏡かけるほど、にきびできるほど、座り過ぎで大根足になるほど勉強させません」という説得に担任の先生は納得させられてしまいました。

長男雅人は母にそっくりな気性の持ち主。A級ライセンスを持ち、レーサー並みのドライビングテクニックを持つ母の才能も引き継いだ。

長男雅人は神奈川大学の経済学部を卒業。長女の美奈は武蔵野美術短期大学を卒業。

美奈が眼精疲労のため、経済誌編集長をやめて、茶道教室運営に専念すると自らも不白流師範荒井宗玄という師号で協力。海外も含め全国的な活動に常に同行。圧倒的なファンが多く、かれらは自らを「宗玄派」とよび、グルーピーとなる。

リュウマチが始まっても教室には通い、とうとうお点前が出来なくなってもファンの要望に答えて毎回華麗なファッションで登場する母を、社中は鎌倉の3階にある茶室から声援を送っていた。だから鎌倉小町通りで知らない人はいないとまで言われる。

リュウマチが進行し、とうとう病院で寝たきりになってもベッドでネイルアートはしてもらう。若いハンサムな医師と食事の約束をするもてぶり。

入院中の昨年1月8日に夫を亡くし、四肢不自由のため、葬儀に出られなくても、パパが会いに来てくれたわと喜ぶポジティブぶりは健在、と思いきや一人になるとしくしく泣いていたと看護婦さんから聞き、周囲に気遣って気丈に振る舞う姿にみんなで涙した。

それから一年。2度病院を転院するうち、またもやその天然自然な性格は愛され続ける。

最後は広尾病院の六本木ヒルズと東京タワーの見える部屋で家族に見守られながら、永眠する。まるで楽しい夢をみているかのような微笑みを唇に浮かべながら。